BLと少年愛の研究室

江戸時代における少年愛の規制【少年愛の歴史~文化から虐待への認識転換~⑩】

江戸時代に繁栄を迎えた少年愛。しかし、様々な規制によって衰退していったことを前回書きました。
今回は、江戸時代における、少年愛の法規制のことを少し詳しく書いておきたいと思います。

江戸時代の人々は、少年愛に寛容だったと言われます。事実、身分・性別を問わず、多くの人が美少年たちに夢中になっていたのは、書いてきたとおりです。

しかし、この時代は同時に、少年愛に関する規制を頻繁に行っていた時代でもありました。

売春をする野郎・陰間への規制

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明暦の禁令

歌舞伎役者の少年に関わる禁令には、1655年(明暦元年)に出された「狂言盡之者屋敷向より被呼候時之事」というものがあります。
そこには、次のように書かれています。

「跡々より御法度之通狂言盡御大名屋敷方江御呼候共祇公仕間敷候」
「一両人御屋敷方より御呼候共罷越島原之真似仕ましき事」
(菊池駿助編『徳川禁令考第五帙』吉川弘文社、昭和7年、p693より)


これは、大名の屋敷に招かれた場合でも、そこで芸を行ったり、売春行為を行ったりすることを禁じたものでした。

元禄の禁令

1689年(元禄2年)には、「かぶき子供其外之者在々町々ニ有之ハ可申来事」という禁令が出されています。

 

「堺町葺屋町木挽町之外方々之芝居江出候野郎浪人野郎抱置候もの有之由相聞候今日中ニ委細書付町年寄方江可申来候」
(菊池駿助編『徳川禁令考第五帙』吉川弘文社、昭和7年、p694より)

 

この禁令では、野郎や陰間などの少年が商売のために湯島天神など営業を定められた場所以外の町に出かける際、委細書を提出することを義務付けています。

宝永の禁令

また、1706年(宝永3年)には、「女おとり子狂言芝居の野郎浪人野郎等彌以所々徘徊致間敷旨町触」という禁令が出されます。

 

狂言芝居之野郎浪人野郎彌以堅外江あるかせ申間敷候」
  (菊池駿助編『徳川禁令考第五帙』吉川弘文社、昭和7年、p696より)

 

ここでは、役者たちがむやみに出歩くことを禁じています。

3つの禁令から考える、陰間の地位

ここで注目しておかなければならないのは、陰間たちの身分です。
江戸時代には、士農工商身分制度が厳密に定められていました。

この3つの禁令から考えると、陰間の中には、もともと良民であった少年がいたものの、実際には賎民としてしか扱われていなかったと考えよいように思います。

これらの禁令では、受身となる少年に対しての規制を明示しています。
現在は、「児童買春」を罰する法律があります。
しかし、江戸時代に出されたこれらの禁令は、「買われる」少年たちを規制した法律です。

「大人が子どもを買うなよ」

ではなく、

「男娼は決められた場所から外に出るなよ」「大名たちに呼ばれても身体を売るなよ」

とだけ言っています。
つまり、少年たちを「買う」人間を規制してはいないのです。

このことから、これらの禁令は、少年を保護することを目的としたものではなく、風紀を乱さないためのものに過ぎなかったといってよいと思います。

一般の若衆へに対する規制

では、陰間と同じく少年愛の対象となった、一般の少年たち・地若衆に関する規制は行われていたのでしょうか。

女児への暴行規制は存在している

林弘正氏の研究によると、江戸時代には子どもに対する性的暴行に関する裁判の例は、いくつか存在し、

 

・1672年(寛文12年)・・・九歳の幼女に暴行を行った男性が死罪
・1718年(享保3年)・・・九歳の少女に暴行したものが遠島
・1791年(寛政3年)・・・十一歳の少女に暴行したものが遠島(後に特赦)

 

になっています。*1

また、1743年(寛保3)には、御定書百箇条の「密通御仕置き之事」に、

 

「一 幼女江不義いたし怪我為致候もの 遠島」

 

という条項が追加されました(前掲書:林)。

しかし、これが女児のみを対象としていることから、一般の少年である地若衆が暴行を受けたとしても、罰則は適用されなかったのではないかな、と思っています。
もし、男児が暴行を受けたときの判例があったら、ご指摘ください。

武士に対する規制

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氏家氏によると、武士の間で制度として行なわれていた少年愛に関しても、江戸時代中期の17世紀ごろから各藩で規制が行われるようになったといいます。
例えば、岡山藩では、1654年(承応3年)に、小姓たちに男色を絶つように誓約書を提出するように義務付けているそうです。
1658年(万治元年)には、衆道の縺れで同藩の子弟が衝突して死者が出たことを機に厳罰が科せられるようになり、ある武士は小姓に関係を持ちかけたことで切腹を命じられているといいます(前掲書:氏家)。

ただ、この武士の少年愛に関する規制は、藩の統率と主従関係の混乱を防ぐことを主な目的とした規制だったといえるでしょう。

※武士たちの少年愛については、よければこちらをご覧ください。

bisyounenlove.hatenablog.jp

江戸時代の少年愛規制について思うこと

少年愛の歴史を振り返ったとき、江戸時代は、少年愛が風俗・文化として存在し、まさに繁栄の時代といっていいと思います。
それと同時に、江戸時代以前にはなかった、効力の強い法規制が行われた時代でもありました。
しかし、この規制は、まだ子どもの保護よりも、風俗や制度の乱れを防ぐという目的が強かったように感じられます。

*1:林弘正『児童虐待 その現状と刑事法的介入』改訂版、成文堂、2006年、p168